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栗林公園は元亀,天正(1572年から1593年)の頃、当地の豪族佐藤氏によって、小普陀付近に築造されたのに始まるといわれ、その後寛永年間(1625年頃)当時の讃岐領主生駒高俊が紫雲山背景に南湖一帯を造園し、さらに、寛永19年(1642年)に入封した高松藩主松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれる。 以来5代頼恭公に至る100余年の間、歴代藩主が修築を重ねて延亨2年(1745年)に完成し、明治維新にいたるまで松平家11代228年間にわたり下屋敷として使用されました。

「一歩一景」の栗林公園

 栗林公園は足を進めるごとにすばらしい景色に会います。この事を一歩一景と言います。日本3名園よりも自他ともにすばらしいと誇っているこの公園は四季を通して、いつの時間でも感動を感じるところです。特に松は1400本あり、そのうちの1000本は庭師さんの愛情ある手によってすばらしい枝ぶりになっていて、どの松とも同じものはなく公園の象徴でもあります。
四季折々には花々が咲き誇っており、カワセミ、セキレイ、鷺、鴨、など沢山の野鳥も癒される姿と啼き声を聞かせてくれます。


栗林公園概要②

 園内は、南庭と北庭に分かれ、6つの池と13の丘があり、南庭は江戸時代初期の回遊式大名庭園である。また北庭は鴨場として使われていたものを明治末から大正初期にかけて近代的に整備改修した庭園である。


栗林公園③

明治43年発行の国定高等小学校読本によると我が国にて風致の美を以って世に聞こえたるは、水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして、これを日本三大公園と称す。
しかれども高松の栗林公園は木石の雅趣却ってこの三大公園に優れりとある。